“知識”という名の毒について考える。
あれは、摂取してしまったが最後、ほぼ絶対に治癒しない。
この世界では、差し出された赤青のピルの選択すらままならないのか。
訳:
ゼルダの伝説のネタバレを表示しないでくれ、僕はその情報を選んでない。tears of the kingdomが一段落つくまでタイムライン見ないからな!
アルゴリズムの馬鹿野郎が。
でもねー、自分を棚に上げてるとも思うわけです。
自身のバンドのライブやリリースの告知をSNS等で行う際に、
我々のリスナー層をカテゴリー化して、そこに狙い打ちで広告を表示させたりしているんですよ。
(例えば、「20代〜30代」「音楽」「東京」「サブカル」 とかね。くだらねえ。)
僕らのバンドのことなんか知らない人にも届くことが目的なのだから、利用する側からしたら良い仕組みではあると思うけど。
実にクソ構造ではあります。
その被害を被ったとたんに怒るのも筋が通ってないと思いつつ、
やっぱ駄目ですよ。選んでもない情報を、それもネタバレを表示させるのは。
しかもタチが悪いのは、人間には本質的に備わった知識への欲求というものがあって、そこを刺激されると、抗えない ってとこ。
以前の話だけど、
ずっと気になっていたNetflixのドラマがあって、見よう見ようと思ってた矢先、YouTubeに、映画やドラマのストーリー解説や切り抜きをかいつまんで、良い感じにあらすじを纏めるチャンネルの動画が出てきたんです。
操られるように魅力的なサムネイルをタップした僕は、流麗に2、30分尺にまとめ上げられたその動画を見てしまいました。
凝縮した知識と感動が乱暴に流れ込んでくる体験に抗うことは出来ず、結局そのストーリーをあらかた把握した僕は、それはそれは深い後悔に堕ちたのでした。
その作品を見返そうとはもう思えないのです。何故なら次の展開から話のオチまで知っているから。
映像や音楽は、時間の経過がそれを作品たらしめているわけですから、
時間を超越するような行為は最も忌むべきだと思いました。
ネタバレ、ダメ。ゼッタイ。
ネタバレすると、まもなく31歳になります。そんときツイートしたり、インスタライブしたりします。
わざわざ選んで僕を見にきた物好きな人と、ネットの片隅で意味のない時間を共有したいのさ。