どうもこんばんは、ドラマーの大井一彌です。
大音量で音楽をやる場所ってのは、野外フェスでもない限り、ほとんどがスタジオかライブハウスでして。
そこは陽の光も差さない密室で、雑音はおろか時間も生活も無い、非日常空間なのです。
僕は高二の頃ネットカフェにはまって、毎日朝からネカフェで漫画読んだりネットしたりして、昼過ぎに軽音部の練習室でドラム叩くためだけに学校行くみたいな生活をしてました。
だから密室大好き狭いところ大好きなんで、毎日スタジオも全然苦じゃないのですが、
生来かなり自然派なお育ちをしているためか、たまーにあるアウトドアな休日が沁みる沁みる。
先日初めて、サファリパークというやつに行ってきました。
どうせ行くなら優勝しようということで、7:30開園のところ4:00に着いて先頭で待機。
一番乗りでパークに繰り出しました。
ほんとにほんとにライオンだったし、かわいくって怖くてどうしよう でした。
シマウマめちゃくちゃ進路塞いでくるし、
想像していた以上に、サファリパークの動物たちは自動車という異物に対しての恐怖心が薄いような感じがして、
むしろ僕たち人間の方が恐縮しっぱなしで滑稽でした。
静的と動的をスムーズに行き来するのに慣れている生き物は魅力的です。
社会生活を営む人間は、意識と行動を乖離させて別個に管理することに慣れきっているからか、
意識と行動が完全に一致している動物さんが本当にしなやかに美しく見えます。
と言っても、都市の人間に比べれば動物園の動物のほうがよりナチュラルの含有量が多いというだけで、
人間の手の入ってない生態系を生きる野生動物からすれば、動物園の動物たちは人間社会病に蝕まれているように見えるのだろうね。
キャンプとか、動物園とか、
そういう、自然由来的なものを享受するためのレジャー全般が
すごく卑しいものに感じるときがあります。
作られた自然、安全なスリル
本物の自然や本当の危険に晒されていなければ、学びも体験も希釈されてしまう。
そんなふうに感じるけど、
僕がうまれた時代と場所では、
靴を履かずには歩けないし、
電源なきゃなんも出来ない。
これは今後の人間が抱え続けるジレンマだと思う。
人間という動物が発生して増えて死ぬまでの仕組みは、引いてみれば自然界の動物らとなんら変わりないのに、
どこかで動物と人間の間に一線を引いてしまったがために
自己の自然動物性と社会人間性のはざまができてしまった。
なんちゃって
やべえよもうすぐ32歳になっちまう
最高だ
32歳の一彌に託したい最近できた目標
これをゲットしてくれ、!
あとはTR-808の実機も、、!
最近の素晴らしい事と言えば、
大太鼓スタンドを自作しました。
恥ずかしげも無く言うけど僕は本当に工作で自分を満足させるセンスがあるので、
木材を買ってきてばばっと図面引いてちゃちゃっと作りました。
かっこいい!よくできた!いけてるよ!