“師“と呼ばれるプロフェッショナルの存在が台頭してきた事象について考える。
一般的にエンジニアに求める技術が100だとして、ミックス師はそのうちの20くらいが出来れば名乗れるような、標準から見れば言わば安い資格なのかと思っていた。
けれど、誰かのバンド演奏を収録したレコードの何小節かをループしたものをバック演奏として扱うラップミュージックのDJが現れた当初はおそらく、彼らは満足に音楽家として認めてはもらえなかったはずだ。
今や市民権を得てメインストリームとさえ言える音楽制作のロジックが、当初は相当に軽んじられた歴史を鑑みれば、ミックス師もそういった音楽史の系譜の一種ではあると思う。
A>Bであれば、Aが出来るひとはBを満たすことが出来るのだ。
であるから、一般的なエンジニアは、ミックス師を名乗る人たちを相当に軽んじていると思うし、それはある意味当然だと思う。
作曲家と言わずボカロPと自称し、歌手と言わず歌い手と自称し、レコーディング/ミックスエンジニアと言わずミックス師と自称する人達は、なぜ自らそう名乗るのだろう。
“ボーカロイドを使用すること“や、“配信などのネット上のプラットフォームを主戦場とすること” など、音楽ジャンルや活動の方針、はたまたトレンドなどによってその区分がなされるのみなのか、
そういったこと以外に、自らをそう呼称する上でどこか特に矜持を持っている部分があるのかどうか知りたい。
そこにはどういった精神があるのだろう。
あえてひどい言い方をすれば、
甘んじて蔑称を受け入れているのか、誇りのもとにそう名乗るのか どっちなんだい。いわゆるプロとされる人達からは、二流三流の扱いを受けるかもしれないのに!
とさえ思ってしまうのだ。
だがそれはたぶん危険な考え方で、バジェットの大きい業界標準とされる音楽や、シェアの広い方法論の方がより正しいことになってしまうからだ。
“歌い手出身“とか、最近よく聞く。その歌い手出身さんは、“歌手“になったのか、それとも、いわゆるマスメディアの舞台で活動するようになっても依然“歌い手さん“なのか。
歌い手の作品を作る時はミックス師で歌い手でないうたをミックスして作品を作る時はミックスエンジニアなのか。
そんなことどうでも良くて、ただかつて慣れ親しんだところではそういう呼び方だっただけなのか。
と色々考えてはみたけれど、
そもそもミュージシャンのタイプ別の呼称、ジャンルの呼称などに意味はないと思っている。
ミュージシャンはミュージシャンであるというだけで、貴賤は無い。
それに、パラデータのオケにボーカルトラックをミックスしていくよりも、最初から2ミックスに仕上がっているオケにボーカルを混ぜる方がロジックから言えば不自然だし、その分技術的に難易度が高い部分もあるだろうから、100のうち20を満たせば出来るような内包関係ではない部分もあると思う。
その仕事のレベルが高いか低いか、その作品やカルチャーがチープかリッチかは相対的にしかはかれないし、
同じ機材や方法を使ってはいても、向かう方角が別々なら、そもそも上下も無いのだ。
最後に、唯一解けない謎がある。
なぜ日本由来的な呼称のクセがあるのか?
〜師、〜手 なのか。
〜ist、 〜er じゃない理由はどこかにある気がする。
最近遠征が多くて。
移動時間が長いときにやる、
大井一彌知覚遮断形態v3の全貌を明らかにしておきます。